米山久志さん

米山久志さん

一番大事なのは感性を刺激してくれること

移住した年
1983年(インタビュー年:2019年)
早川に移住したきっかけはなんですか?

 当時、町に何か〝ものづくり〟を入れたいってことで、早川町長も自ら動いていたんですよ。私は大学卒業後に約1年半勤めて、そのあと茨城県の笠間で焼き物の修行を5年間していました。私の親しくしていた笠間の焼き物屋と町長が高校の同級生だったので、独立の時期に私に声がかかったんですね。
 早川町なんて全然知らないから、じゃあ一回行ってみましょうってことで来てみました。来てみて唖然というか。町並みも何もない、あるのは崖と山ばっかりで、さすがに一回来ただけじゃあ・・・いかなる感想もわかなかったですね。
 最初の訪問の後は、いろんな地方の陶芸家を訪ねて旅回りをしました。その中で「あれがダメこれがダメなんて言ってれば一生できないよ。自分でいいと思ったら、そこに決めたほうがいい。」と言われて。だから返事は2年待ってくれって言ってたのだけど、2年待たずに早川に来てしまいました。やっぱり若かったから情熱もあったし、一日でも早く焼き物の仕事に就きたかったので。

早川に移住して良かったなと思う事はなんですか?

 私は作家としてモノを作る時、一番大事なのは感性を刺激してくれるかっていうことなんですね。それが早川町の雨畑にはありました。それと、人としてどうやって気持ちよく生きるかっていうのが第一順位にあって、私は雨畑で暮らすことでそれが叶ったと思います。だから私は、ここで〝生まれた〟と思っていますね。それまでと違う人生を始めるとか、仕事を始めるとか、ここで私の新しい人生が〝生まれた〟という、そういう感じですね。

子どもたちの様子はどうですか?

 私たちの家庭の場合は、ただ普通に暮らしていましたね。ギクシャクはしなかった。都会の子と比べて何ができない、という風にはさせたくないと思っていましたけど、子どもたちにとってマイナスだったっていうことはなかったかな。全てがプラスだったっていう訳でもないけど、少人数教育だからみんなやらなきゃいけないことが、自然に身についていく感じはありましたね。

生活の中で大変に感じる事はありますか?

 全部初めてのことで、比較するものがないわけだけれども、苦労と言えば苦労・・・。いや、苦労と思ったことはないかな。
 自分の意志で、自分の好きで始めている仕事を、自分の選んだ環境でやるから、他の人から見ると多少大変かなって思われそうなところも、自分ではそうは思わない、ということだったのかもしれないですね。収入よりも、こういうところで暮らしていく、暮らし方をつくっていくことが楽しかったというか。そのために我慢や苦労をしたと思ってないですね。好きでやってるから。

今後の目標などを教えてください。

 ずっと探しています。災害を被ったこともあって、これを機に焼き物の仕事はコンパクトに続けていこうかと考えているところですね。初めて自分の焼き物が窯から出てきた時のような感動が得られるような何か、自由にやって面白いと思う金脈に当たれば、そちらを掘ってみたいという気持ちもありますね。

これから移住をお考えの方達へのメッセージをお願いします。

 自由に好きでやってほしいと思いますね。本当に好きだと苦労も苦労じゃなくなるから、とことん徹底して好きになってから移住してください。
 それなりに地域の誇りっていうのがあって、何か苦しいときは絶対に手助けしてくれます。周りの迷惑にならないように、なんて思わずに、周りの迷惑になるように、周りの人と密接に絡み合いながらやっていくことだと思います。

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